「市の仕事は必ず誰かとつながっている」燕市総務部総務課人事係 係長 大塚小由紀さん
ひとしごと「市の仕事は必ず誰かとつながっている」燕市総務部総務課人事係 係長 大塚小由紀さん
「ひとしごと」は、燕市の企業(しごと)とそこに働く「ひと」を紹介するインタビュー記事です
今回の「ひとしごと」インタビューは、燕市の行政を担う燕市役所にお伺いしました。
新卒採用だけでなく人事制度やキャリアアップなどを担当しておられる、大塚さんのお話しを紹介します。
紆余曲折を経て公務員の道を選ぶ
-大塚さんのご出身は燕市ですか?
「ええそうです。旧分水町の出身です。」
-市の職員には新卒から採用されたのでしょうか
「いえ、私は一度就職してから転職して燕市、当時の分水町の職員になりました。」
-大学は東京ですか?
「いえ、地元の新潟大学です。これも回り道していています。もともと当時の県短(県立新潟女子短期大学)に入ったのですが、どうしても勉強したいことがあって新潟大学に編入しドイツ文学をやりました。人文だったので就職活動では苦労しましたけど。」
-就職活動はどんな感じでしたか
「学生のときに10日間ほど自宅を離れて東京で勉強をしたことがあったのですが、そのときに感じたことがあって。
東京でコンビニ弁当を食べる日が続いて、寂しいなと思ったんです。それで家に帰ってきて、母のご飯がおいしいなとか、近所の人に「おかえり」と声をかけてもらったり。こどもの頃はうっとうしいなって思ったこともありましたが、ほんの少しですが外を知って、人に支えられているなと感じました。
『公務員になりたい』ではなく『地域の人の役に立ちたい』と思ったのはこの時です。」
-それで、一度他の会社に就職されたんですか
「地元の民間企業に就職が決まりました、というか自治体などの採用試験になかなか受からなくて。それで民間企業に就職しました。」
-どんな新入社員でしたか
「最初、自分でもビックリするくらい何も出来ませんでした。でも、とにかく負けず嫌いなので、3年でなんとか追いついてやろうと頑張りました。
公務員試験の勉強もしていたんですが、何も出来なくて逃げたと思われるのがイヤで。結局3年目に公務員試験に受かって転職したんです。」
町の職員として 広報に取り組む
-それで分水町の職員として働き始めたんですね
「そうです。最初に広報担当に配属されて、合併までの六年間、町の広報誌を担当しました。」
-広報というとあまり役所っぽくない仕事という感じが
「確かに最初そう思いました。役所というと、窓口業務の印象が強いので、お堅いとか待ってる、座り仕事のイメージがありますけど、広報の仕事は自分から動いて人と話して飛び込んでいくものでした。」
-広報の仕事って、どんな内容なんですか。いつも配られてくる広報誌ですよね
「私が配属されたときは、先輩職員と私の二人の部署でした。最初は何にも出来ませんでしたが、取材・撮影・版組・校正……印刷の前までは全部自分たちでやりました。
2年目には先輩が異動になって自分が主担当。『白紙の広報誌が配られる夢』とか『データが全部飛んだ夢』とかで飛び起きたことが何度もありました。」
-全部やるのはずいぶん大変ですね
「そうですね。植樹祭の取材とか、樹を担いで山に登ったりいろいろ体験しました。でも、町の人から『読んでるよ』『取材来てね』なんて声をかけられると凄く嬉しかった。やりがいはありましたね。
あと、自治体の広報担当同士の横の繋がりもあって、いろいろ助けられたりもしました。」
-どれくらいのペースで発刊していたんですか
「月二回発行で、毎月一日に20ページの冊子、一五日に4ページのお知らせを出していました。土日のお休みにも取材に行きました。紙面に穴が開くのが怖いから(笑)。」
合併後 人事担当へ
-分水町は燕市、吉田町と合併して新燕市になりましたがその後も広報を?
「合併後は広報から秘書係へ担当が変わりました。秘書係は一年間でしたがそのときに結婚して、翌年人事に異動して出産しました。」
-今のお仕事につながってきましたね
「人事の仕事をするようになって今10年目なので、合併してからは大体人事担当でした。最初の四年間は職員給与の担当で、その後研修や福利厚生、そして採用を含めた人事全体を見るようになりました。」
-これまでの市民と接する仕事と変わって、職員に対する業務ですね
「そうです。ただ、やはり『お役所だから座り仕事で楽』といった感じではありませんでしたね。特に研修は、それまでの定番メニューを繰り返すものから大きく変わりました。接遇マナー向上のために研修前に抜き打ちチェックをやったりとか。異業種交流の研修をやったりとか。
燕市には、勤務時間外に市長自らが塾長になって、私たち職員を指導してくださる市長発案の『市役所長善館』(※)という勉強会もあるんですよ。」
-研修制度としてはずいぶん革新的ですね
「昔の公務員は言われたことをやっていれば良かったけれど、いまは新しいことに取り組んでいかないと生き残っていけません。研修をシラバス化して希望者に選んでもらう方式にしたり、いろいろ企画を考える機会が増えました。」
-結婚育児と仕事をバランスよく保つことは難しくありませんか
「子供が小学生になって、ようやく話をして少しずつ理解してもらえるようになりました。『ママの仕事はみんなと協力してやる仕事だから』とか『今日は、こんなことがあったんだよ』って、出来る限り向き合うようにしています。
以前、娘が二歳の頃に、出勤時に泣き止まなかったので放っておけなくなって、仕事を休んだことがあります。そのときに相談した保健師の方から『子供から離れられないお母さんの方が子供ですね。しっかりと働く背中を見せて上げなさい』といわれました。今でも心の支えになっています。」
-なかなか言えることじゃないですね
「育休を取るときも、『代わりの方はいるので感謝して、心置きなく取って下さい』と言われたこともあります。『他の方が育休を取るときに力になって上げて』と。私も他の人にそう伝えるようにしています。
制度だから取る、権利だから取る、となってしまうと組織の気持ちが崩れてしまいます。感謝の気持ちを忘れずに互いに支え合うのが大切なことだと思います。」
「必ず誰かとつながっている」
-最後に。市の職員として働くやりがいはなんですか
「私はいままでいろいろと回り道をしたり失敗ばかりしてきましたが、人との縁に恵まれたおかげでなんとか踏ん張ってこれたと思います。市の仕事は、必ず誰かとつながっている、一人じゃないと感じられる仕事です。市の職員を志望される方は、ぜひそういうやりがいを知ってもらえると嬉しいです。」
-サイトの読者にも気持ちが伝わったと思います。実感のこもったお話しありがとうございました。
※長善館:幕末から明治にかけて粟生津村(現燕市)にあった高名な私塾。「市役所長善館」はこの私塾にあやかって名付けられた
燕市役所採用情報
http://www.city.tsubame.niigata.jp/news/10007313004.html
総務部総務課人事係
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